つけめん

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特徴

茹で上げた麺を冷水で締めてから皿やざるに盛り、別の器についだ熱い(もしくは冷たい)スープに一口分ずつ漬けながらざる蕎麦のように食べるのが一般的。麺を温めた状態で提供することを「あつもり」と言う。

スープ(つけだれ)は通常のラーメンのものよりも濃く調整されることが多い。酸味を効かせたもの、甘味を効かせたもの、魚粉を効かせたものなど多種多様である。ボリュームを出すために、麺の量は普通盛りで通常のラーメン(100-150グラム)に対して、つけ麺は2倍程度(200-300グラム)多く提供する傾向がある。麺を食べた後に、ラーメン用の豚骨や鶏がら風味のスープをさらに足しつけだれをスープで割って味わうよう、「スープ割り」を提供する店がある。店員に注文すると提供してくれる店が大半であり、逆に注文しなければ提供されないことが多い。

具は店によって様々のスタイルであり、スープの器か麺の器、あるいは双方の器に乗せられる。具の内容は、基本的にラーメンと変わらず、麺の上に海苔、叉焼、メンマ、ゆで卵などがトッピングされることもあり、薬味としてワサビや柚子などがつけられることもある。

広義では冷やし中華や冷麺に近いものや、食べ方は同じであるがスープが冷たいものも変種の「つけ麺」として扱われることがあり、それらは「ざるラーメン」「ざる中華」等と呼称することもある。その場合、麺が(ざる蕎麦を食べる際に使用されるような)蒸篭で提供されたり、スープがごまダレとなっていることがある。
歴史

日本のつけ麺の発祥には諸説存在するが、1955年(昭和30年)に東京都にある大勝軒にて山岸一雄が開発・商品化した説が定説になっている。

山岸が東池袋大勝軒を独立創業する以前、17歳の時に勤めた修行店に存在した、湯のみ茶碗にスープと醤油を入れたものへ、残ってしまった麺を浸して食していた賄食がベースである。1年後、修行店から山岸が「兄貴」と慕っていた従兄弟の坂口政安が独立することから一緒に行動を共にし『大勝軒』(中野店)を立ち上げた。後に坂口が別の場所に本店(代々木上原店)を構えた事により、山岸が中野店の店長として任され活動していた頃、この賄食を食していた。それを見ていた客の関心を惹きつけた事から「これをメニューにしたら売れるかもしれない」と感じ、様々な試行錯誤の後、メニューの一品として完成させた。1955年「特製もりそば」(当時の代金40円)として供されたのが商品化された最初のつけ麺とされる。また、その3年後に坂口の本店からもつけ麺と同様の「つけそば」が独自研究開発されて商品化となった。1961年(昭和36年)山岸が東京都豊島区東池袋に『東池袋大勝軒』として独立創業(暖簾分け)した際も味を受け継いでおり、甘酸っぱいつけだれと弾力ある麺の食感とボリュームで人気を博した。

つけ麺の名称が最初に使用されたのは1973年(昭和48年)頃『元祖つけ麺大王』によるものとされる。

1970年代後半にはつけ麺ブームが発生しており、呼称として「つけめん」「もりそば」「つけそば」のほかに、「中華盛り」などの別呼称も存在した[2]。

1970年代から1980年代初頭にかけて、ハウス食品より「つけ麺」が発売されていた(CM出演者は女優の高瀬春奈と漫画家のはらたいら)。これは冷たい「タレ」につけて食べるもので、大勝軒の「もりそば」とはまた異なる。

平成に入り山岸が方針転換した事により弟子を取るようになり、1990年代中盤頃から同店で修行後にのれん分けで独立したラーメン店主が類似のつけ麺を供したことが影響して2000年頃から関東圏、特に東京都内にはつけ麺を提供する店が増えていった。同時期頃に埼玉県川越市頑者にて具材に「自家製極太麺」「魚粉」「濃厚つけだれ」を使用した個性的なつけ麺が登場。これが火付け役となり2000年代中盤頃からつけ麺ブームが始まり、「自家製極太麺」「魚粉」「濃厚つけだれ」を使用したつけ麺は「濃厚魚介豚骨系」「魚介豚骨系」「豚骨魚介系」や「極太つけ麺」と呼称され、インパクトの強さや極太麺の食感を楽しむ部分が受けたことや、太い麺は細麺に比べてつけ麺のスープにからみやすいこともあって濃厚魚介豚骨系の店舗は増加して東京近郊では3年以上の長期トレンド化しており、それが九州や北海道などの地方にも広がったり、多数の個人店が目まぐるしく入れ替わる競争状態のため、人気店の味を模倣した店が多くなる傾向にあった。

2009年10月・11月、つけ麺限定の大規模イベントとして日本初のつけ麺博覧会「大つけ麺博」が東京・日比谷パティオで開催され、以降も2010年4月に六本木ヒルズアリーナ、同年6月に北海道・札幌、同年9月〜10月に東京・港区と複数回開催[16]。2010年5月、新横浜ラーメン博物館はつけ麺に関して取材・調査・データ分析を行った結果から、つけ麺は「ラーメン」というジャンルとして確立したものと結論付け、単なるブームではなく「食文化」として定着した、との見解を示した。